京都地方裁判所 平成元年(ワ)2574号 判決 1992年5月08日
原告
藤井正
原告
野依悠紀雄
右両名訴訟代理人弁護士
前堀政幸
右同
井上洋一
被告
横田典司
右訴訟代理人弁護士
高田良爾
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告らそれぞれに対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成元年九月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告藤井正は、昭和五七年以降、訴外学校法人平安学園(以下、「平安学園」という)の理事であるとともに、平安学園の設置する平安高等学校(以下、「平安高校」という。)の校長に就任していたものである。
原告野依悠紀雄は、昭和三八年から平安高校に勤務し、昭和六〇年ころには同校の財産管理等を職責とする管理主任の地位にあったとともに昭和六四年一月一日以降、平安学園の事務局長(兼理事)に就任していたものである。
被告は、昭和六一年四月平安高校入学、平成元年三月同校卒業の訴外横田英典の父親であり、浄土宗本願寺派福勝寺の住職である。
2 本件の背景事情
平安高校は、かねてから、訴外学校法人龍谷大学(以下、「龍谷大学」という)の推薦入学指定校とされていたことから、毎年、龍谷大学に対し、同大学の定める基準に該当しかつ平安高校内で選抜された生徒を、同大学から与えられた人数枠(四〇名程度)だけ推薦入学させていた(以下、「特別推薦制度」という)。
ところが、平安高校の英語教師であった訴外三宅省吾(以下、「訴外三宅」という)が、昭和六〇年四月入学同六三年三月卒業の生徒のうち、自己が担任するクラスの複数の生徒につき、学習成績の記録を改ざんし、それら生徒の学習簿(いわゆる内申書の基礎となる各生徒の記録)の学習成績評定値が真正な評定値よりも高くなるよう操作していた(以下、「本件不祥事」という)。
本件不祥事は、昭和六三年三月中旬、新聞報道により世上に明らかとなったが、訴外三宅において原告藤井の指示により成績改ざんを行ったと主張する事態となり、しかもこの言い分も新聞報道されるに及んで平安高校内は騒然となった。原告藤井は、訴外三宅の右主張を全面的に争い、本件不祥事は訴外三宅の単独行動であると主張し、訴外三宅を名誉毀損で告訴したが、これが不起訴とされたため、訴外三宅を相手方として、名誉毀損を理由とする損害賠償請求訴訟(京都地方裁判所平成元年ワ第一五四五号事件)を提起した。訴外三宅は、昭和六三年三月三一日に懲戒解雇されたが、やはり、その処遇を不満として、解雇無効確認請求訴訟(京都地方裁判所平成元年ワ第一七七八号)を提起した。
龍谷大学は、本件不祥事を重くみて、昭和六三年四月、既に推薦入学が決定していた生徒のうち、成績改ざんによる成績の不当なかさ上げがあった生徒の入学を取り消すとともに、当分の間、平安高校からの特別推薦制度を停止することとした。被告を含む平安高校の生徒の複数の父兄は、本件不祥事の結果、特別推薦制度が停止された事態の責任を追及することにし、平成元年二月一六日、平安学園を相手とし、総額一九八〇万円の損害賠償を請求する訴訟を提起した。
3 本件不法行為
右のような事情のもとで、被告は、平成元年九月一一日ころ、当時平安高校の第三学年に在学していた生徒の父兄約四九〇名並びに平安中学校・平安高校の在学生の保護者団体たる平安会の役員及び構成員約五〇名に対し、被告作成にかかる「ご存知?心でほろぶ平安・不正の真相解明なるか!裁判ラッシュアワーに突入!」と題し、平安学園が原告被告となっている訴訟事件の存在、審理状況を報告する別紙のとおりの文書(以下、「本件文書」という)を郵送し、そのころ、それぞれ名宛人に到達した。
本件文書の冒頭部分には、『昨年だけで四十人もの生徒が龍大に入れなかった弊害は、平安の命取りだと思われましたが、構造汚職の根源コンビ・藤井校長、野依事務局長は、「・・・僅か四十人のこと」と云い、また、今年の平安高校への受験生が多かった(質は別)こともあってか「・・・龍大の特推依頼は外されても、痛みはない」と公言しています。この二人には、生徒や、親の心の痛みを感じる「人の心」の持ち合わせは無いのでしょう。』と記載されている。
4 被告は、本件文書を多数の父兄に配布したことにより、原告らがその地位を利用し、金銭的利益を得て、組織的に本件不祥事にかかわり、構造的な汚職、すなわち犯罪的行為を行ったかの如き虚偽の事実を流布したものであり、これは原告らの社会的評価・信用を低下させるに足りるものであるから、原告らの名誉・信用を毀損したものである。原告らは、この被告の行為により、多大の精神的苦痛を受けたところ、これを慰藉するに足りる慰藉料の額としては、それぞれ一〇〇万円が相当である。
5 よって、原告らは、被告に対し、民法七〇九条、七一〇条に基づき、それぞれ慰藉料たる一〇〇万円の損害賠償金とこれに対する平成元年九月一五日から完済まで民法所定の年五分の割合により遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実1ないし3の事実関係は認める。同4の事実は否認し、同5は争う。
被告は、本件文書を原告らの名誉、信用を毀損するつもりで、作成・郵送したものではないのみならず、そもそも、本件文書の内容は、当時の新聞記事等からして相当かつ妥当な表現であって、これを配布した行為も原告らの名誉を毀損する違法なものではない。
第三 証拠<省略>
理由
第一請求原因1ないし3に摘示の事実関係については、当事者間に争いがない。これによれば、本件文書は、全体としては、本件不祥事の詳細が審理されている訴訟事件に対する平安高校の父兄の注意、関心を喚起する内容であるというべきであるが、その中には、請求原因3に記載のとおりの表現が含まれている。そして、その部分には、その文書を取り出して文法的な理解をするならば、確かに、原告らを侮辱する性質のものであると考えることができ、このような本件文書を多数の父兄に配布した被告の行為は、原告らの感情を害したであろうことも否定することができない。
しかしながら、他人の身体的欠陥や極端な私事をことさらあばくような場合は論外として、一般には、表現行為の違法性は、その表現の文言のみによって決せられるわけではなく、多少の侮辱的な文言の含まれる表現行為があったとしても、当該表現行為が行われた具体的状況や動機によっては、なお民事法上違法とまではいえない場合がある。すなわち、憲法二一条一項に規定される表現の自由は、原則的には、私人が国家権力との関係で保障されたものであるが、国家以外にも個人的利益に関わりあいを持つ有力な社会的団体の多い現代国家においては、自由で民主的な社会関係を形成するため、団体のあり方を批判する自由を一定程度許容することも、憲法の趣旨に合致するところである。そうであるとすれば、民法上の不法行為の違法性についても、現行憲法上に存する法秩序全体と矛盾のないようにこれを理解しなければならない。
本件においては、私立高校で発生した本件不祥事に関してその責任者に対する非難表現の違法性が問題になるところ、私立高校は、未成年者の教育という公共的使命を果たすことが期待され、国家からも財政面や税制面で優遇された団体であるから、一般論としては、このような団体の責任者に対する非難表現が違法とされる範囲は、一営利企業の責任者に対する非難表現のそれと比較すれば、多少なりとも狭いというべきである。もちろん、公共的な団体の責任者であっても、いわれのない誹謗・中傷に甘んずる必要は当然ないのであって、ただ、そのような者に対する真摯な批判が行き過ぎた侮辱的文言を伴うような場合に、具体的事情に鑑み、民事上の不法行為制度による救済が制限されるというにすぎない。そこで、本件文書が配布されるに至った具体的事情について判断する。
第二<書証番号略>、証人小森慶次郎の証言、原告野依及び被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。
一本件不祥事が新聞報道により公になった後、訴外三宅による成績改ざん行為の存在、それが原告藤井の指示によるものとする訴外三宅の態度、訴外三宅の言を強く否定する平安高校及び原告藤井の態度、龍谷大学側の意向による特別推薦制度の停止の事実が逐一新聞で報道されたが、本件不祥事の規模、それが他の職員に知られないで行われた平安高校内の管理体制などの点については、事案解明の努力が遅れている趣旨の新聞報道が目立っていた。
二平安高校の教職員組合は、本件不祥事の真相究明を強く主張し、具体的には、原告藤井の本件不祥事に対する関与の有無を問題とした。しかしながら、平安高校内は、関与が疑われた当事者を除く第三者構成の調査機関などを自主的に設置して調査に当たらせるようなことはなかったし、その結果当然のことながら、平安高校側が、利害の深い父兄に対し、本件不祥事の規模、考えられる原因、今後の予防措置等の事実関係を報告するようなこともなかった。このような状況下で、平安高校の教職員組合は、本件不祥事発覚直後、組合名義で、昭和六三年三月二三日付の「平安高校教職員に訴える」と題する文書や同年三月三〇日付の「平安高校教職員のみなさんへ訴えます(その二)」と題する文書を作成し、これを関係者に配布していた。それらの文書の中には、訴外三宅による成績改ざんの対象となり、かつ特別推薦制度により龍谷大学へ進学した生徒の親(証人小森慶次郎)が平安高校に冷蔵庫の寄付をしていたこと、同証人と原告両名が高級料亭で多数回会食をしていたことが指摘されている。
三実際にも、証人小森慶次郎は、平安高校に多額の寄付(なお、原告野依はこれを約四〇〇万円と述べ、同証人はこれを五〇万円というが、いずれにせよ取るに足りない額とはいえず、多額と表現してさしつかえがない)をしており、自己の出捐により、原告ら両名などと、祇園の料理屋や「京大和」という高級料亭で一〇回ほども飲食していた。しかも、「京大和」での会食は、同証人の子供の龍谷大学への特別推薦が決定した時期に近接して行われ、同証人と原告らのほか訴外三宅も列席していた(なお、原告野依も同証人はそれら会食の全部が平安高校職員間の縁談に関する相談をするためであったと述べるが、証人三宅省吾は「京大和」の会食は同人の成績改ざん行為に対する感謝、慰労の趣旨であったと証言しており、本件の資料だけから、それら会食の趣旨について確たる判断は困難である)ことがあった。
四被告は、龍谷大学への特別推薦制度に期待し、自己の子供に平安高校入学を勧め長距離通学をさせていたものであるが、本件不祥事により、同制度による子供の進学が不可能となったものであり、本件不祥事には、かねてから多大の関心を寄せていたが、本件不祥事の真相究明に対する平安高校の消極的な態度に大いに不満であった。しかも、被告は、被告らが提起した別訴に対する平安高校の見解、すなわち、本件不祥事は一教員の行為であり学校側は無関係である、特別推薦制度の停止は龍谷大学が決めたことである、同制度の対象者は一学年五〇〇名の生徒に対し三、四十名程度である、この制度を父兄に案内したことはあるが契約したとはいえないとの見解が原告野依を通じ新聞紙上で発表されるに及んで、平安高校の責任者は本件不祥事の責任を感じていないと強く憤るようになった。そこで、それまでの新聞報道や教職員組合の文書、裁判の傍聴の結果を参考にし、平安高校の校長たる原告藤井や平安学園事務局長たる原告野依を批判し裁判所における本件不祥事の事実審理に父兄の関心を喚起する趣旨で本件文書を作成し、これを配布した。
第三さて、前記争いのない事実や右認定事実に照らせば、被告の本件文書配布行為は、非難表現の対象とされた原告らの社会的地位、非難表現の動機や態様に鑑み、その文言にかかわらず、なお民事上の不法行為責任を生じさせるような違法性を有するとまでは断じることはできないというべきである。
すなわち、平安高校は、教育という公共的使命を負いながら、生徒や生徒の父兄の信用を著しく損なうような本件不祥事に関し、その規模、なぜそのような不正行為が他の教員に知られることなく敢行されたのかという原因や予後の対応などの点につき、学校内に公正な調査機関を設けるなどして本件不祥事を調査・検討し、その結果を可能な限り父兄などの利害関係者に公開するという、教育機関に通常期待される努力を欠いたとみられても仕方がないところである。このことは、過失相殺として斟酌される事情というよりも、本件文書による非難行為の根本的原因というべきであり、本件文書配布行為の違法性そのものに影響を与えざるをえない。
しかも、成績改ざんの対象となった生徒の親と原告らとの交際が教職員組合によってとり沙汰されていた状況下においては、被告のように本件不祥事で子供の進路指導に重大な影響を受け、原告らの姿勢に憤りを感じ、かなり強い調子で原告らに非難を浴びせることが必ずしも不当とはいえない。そして、本件文書は、全体としては、本件不祥事が争点となっている裁判に父兄の注意を喚起する内容であり、被告の記名により作成者も明らかにされていて、侮辱的な文言により原告らを揶揄するためではなく原告らや平安高校の態度を批判する意図で作成されたことが窺えるものとなっている。
よって、被告の本件文書配布行為が違法であることを前提とする原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官橋詰均)
別紙「平安の現実」に、怒りを感じている保護者各位へ<省略>